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      <title>びっとらんだむ</title>
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      <description>DON&apos;T WORRY, BABY!</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2009</copyright>
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         <title>このサイトについて（2009年版）</title>
         <description>　みなさん、こんにちは。コイッチ・ウォノです。 

　僕は大阪の放送局に勤務しながら、携帯サイトやホームページを作る仕事をしています。個人的にもインターネットにはお世話になっていて、買い物から貯蓄まで、インターネットがなければ随分と困ってしまうことでしょう。実は仕事としてインターネットに接するよりも、個人的なサイト運営のほうがキャリアは長かったりしますしね。

　個人的には文房具やハンバーガー、芝生いじり、サイクリングといったことに興味があり、それらについて批評を書く場としてブログを細々と続けている怠け者のブロガーでもあります。この歳になって今更なのですが、最近、文章を書くことが少し面白くなってきました。反面、難しさも身に沁みて感じるようになりました。ささやかな夢ですが、いつかどこかで雑誌の記事を書いてみたいです。

　このサイトは、そんな僕が日々感じたことを、特に話題を限定せずにアトランダムに書き綴っていくというスタイルで、2001年の元旦、つまり２１世紀が始まると同時に、スタートしたコラムを中心とした個人サイトです。

　タイトルにもあるように「ランダム」という言葉がこのサイトを表す一つのキーワードです。検索して物事を調べるのに便利だったり、買い物や取り引きが手軽に行えたりすることだけでなく、意外な発見、意外な出会い。そういうのがインターネットの魅力ではないかと僕は考えています。

　何か知らんけど、あのサイトってアクセスするたびに違うことが書いてあって、たまーに興味のあることが書いてあるんよね。そんな意外性のある宝くじやスロットマシンのようなサイトになればいいかな。そんな風に考えてます。

　今後とも「びっとらんだむ」をよろしくお願いします。.</description>
         <link>http://bitrandom.hustle.ne.jp/2009/06/2009.html</link>
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         <pubDate>Sun, 07 Jun 2009 19:07:39 +0900</pubDate>
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         <title>このサイトについて（2005年版）</title>
         <description>　みなさん、こんにちは。コイッチ・ウォノです。 

　僕は大阪の放送局に勤務しながら、携帯サイトやホームページを作る仕事をしています。また音楽著作権に関する仕事もしています。

　一方で、個人的にもインターネットにどっぷりとハマった生活を送っていて、買い物から株式投資まで、インターネットがなければ随分と困ってしまうことでしょう。実は仕事としてインターネットに接するよりも、個人的なサイト運営のほうがキャリアは長かったりしますし。

　このサイトは、そんな僕が日々感じたことを、特に話題を限定せずにアトランダムに書き綴っていくというスタイルで、2001年の元旦、つまり２１世紀が始まると同時に、スタートしたコラムを中心とした個人サイトです。

　タイトルにもあるように「ランダム」という言葉がこのサイトを表す一つのキーワードです。検索して物事を調べるのに便利だったり、買い物や取り引きが手軽に行えたりすることだけでなく、意外な発見、意外な出会い。そういうのがインターネットの魅力ではないかと僕は考えています。

　何か知らんけど、あのサイトってアクセスするたびに違うことが書いてあって、たまーに興味のあることが書いてあるんよね。そんな意外性のある宝くじやスロットマシンのようなサイトになればいいかな。そんな風に考えてます。

　今後とも「びっとらんだむ」をよろしくお願いします。.</description>
         <link>http://bitrandom.hustle.ne.jp/2005/02/2005.html</link>
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         <pubDate>Sat, 26 Feb 2005 11:30:33 +0900</pubDate>
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         <title>デザインを統一しました</title>
         <description><![CDATA[11月からブログを<a href="http://bitrandom.cocolog-nifty.com/">ココログに移し</a>、その後放置されていた旧サイト「<a href="http://bitrandom.com/blog/">びっとらんだむ：ぶろぐ（旧）</a>」ですが、先日、ココログ側とデザインを合わせてみました。まだ微妙に遣り残しもあるのですが、ちょっとすっきりした印象になりました。

次は「びとらん」の以前の記事の復旧作業です。気長にお待ちを。]]></description>
         <link>http://bitrandom.hustle.ne.jp/2004/11/post_32.html</link>
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         <pubDate>Sat, 27 Nov 2004 14:15:37 +0900</pubDate>
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         <title>メンテナンスのため休止します</title>
         <description><![CDATA[ブログを<a href="http://bitrandom.cocolog-nifty.com/">ココログ</a>に移行したことに伴い、デザインなどに手を入れたいとい思いますので、過去記事の閲覧をいったん休止します。休止中はココログのほうを訪ねてやってください。]]></description>
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         <pubDate>Fri, 05 Nov 2004 00:15:54 +0900</pubDate>
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         <title>十年、二十年の後に</title>
         <description>　三十年も前の話だ。

　野球好きの父は、小学校三年になりたての僕が、もうそろそろ野球が分かる歳だと思ったに違いない。一家はそろって阪神－広島戦に出かけた。あんなに人が多くいる場所には行ったことがなかった。別世界。飛び交う野次。母の弁当。スコアボードまでが遠い。マウンドに江夏。一回裏は打者一巡の猛攻。これがあの甲子園球場だ。マンモス・スタンドのざわめきが胸に思い出を刻む。

　アメリカの知人は大リーグ見物へと向かう車の中で「昔、親父に連れて行ってもらったもんさ」と言った。義兄も「親父と初めてプロ野球に行ったのは・・・」という話を聞かせてくれた。野球観戦の愉しみを父親から教えてもらった男は多い。洋の東西を問わず、父親から息子に贈るプレゼントのうち、プロ野球観戦はもっとも思い出に残るもの一つだろう。

　プロ野球選手会がストライキを決行した。
　選手たちは言う。
「十年後、二十年後を考えての行動だ」と。

　三十年前、僕が父と足を運んだ球場がなくなってしまったら。あの日見て好きになった球団が、もう存在していないとしたら、どうだろう。僕の父との思い出は寂しいものになってしまうんじゃないだろうか。

　二週間ほど前、息子と近鉄－ダイエー戦を観戦。初めての大阪ドーム。そして、おそらく、近鉄戦を見るのはこれが最後だろう。十年後、二十年後にわが息子がバッファローズ・ファンであることは、考えられない。バッファローズ自体がなくなるのだから。

　球団の合併というのは、球団がなくなってしまうとはそういうことだ。一人の男が、せっかく息子に何かを伝えたとしても、その証がなくなってしまう。一人の男が、父親との思い出を大切にしたくとも、その証がなくなってしまう。実に寂しい話だ。

　三十年後、息子が自分の子供を連れてスタジアムに足を運ぶ時、父や祖父の思い出を子供たちに話すことはできるのだろうか。同じチームを応援するのなら、それはいとも簡単に世代を継ぐことができるのを、多くの野球ファンは知っているのに。

　十年後、二十年後にはおそらく引退しているであろう選手たち。
　その彼らが言うのだ。
「十年後、二十年後を考えての行動だ」と。</description>
         <link>http://bitrandom.hustle.ne.jp/2004/09/post_30.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">20_THOUGHT</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 19 Sep 2004 00:04:53 +0900</pubDate>
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         <title>ネットワーク上の出会い、ふたたび</title>
         <description><![CDATA[　ソーシャル・ネットワーク・サービス（SNS）って知ってますか？出会い系と言ってしまえば、それはそとおりなんですけど、知り合いの人を紹介しあって、どんどん友達の輪を広げていこうという「一見さお断り」のコミュニティサイトのことです。

　半年ほど前までは日本語でのサービスがそんなになかったのですが、ここへ来て増えてきました。僕が契約しているレンタルサーバー業者が「<a href="http://kinugasa.cc/">キヌガサ</a>」という一風変わった名前のSNSを始めたのを契機に幾つかのサービスに入ってみました。いずれも無料。

　入ってみてびっくりしたのですが、以前の同僚や、ブログで見聞きしている人たちが、いるわいるわ。ほんまにぎょーぉさん、おるんですよ。知人を見つけるごとに「友達」に登録を依頼して、自分用のページにどんどん友達の顔が増えていく様は、同窓会のようでもあり、飲み会のようでもあり、なかなか楽しい眺めです。

　一方で、ネット上の知人とリアルな友人が繋がっていく現象も出てきました。

　いつも読んでるブログの筆者は、実は同じ部署の同僚の親しい友人やったし、二年ほど前にうちの職場を離れたウェブ・デザイナーは、大好きな某アーティストと仕事することになったそうやし、そうかと思えば、僕は僕で、大好きなスポーツジャーナリストの世界で、新しい仕事の接点が持てそうですし。

　面白いのは、ちょうど十年前にウェブの世界を知ってから、さほど時間が経たないうちに知り合った人と、ブログなどでごく最近知り合った人たちが、繋がり始めたということなんですね。

　何かの偶然かもしれませんし、ネット上で知り合った人たちは「繋がる」ことに積極的な人だったのかもしれません。何故、ここへ来て、どんどんと知人同士が繋がっていくのかは分からないのですが、その起爆剤としてブログやSNSがあるのは間違いないんやないかなあ、と思ってます。

　皆さんの中でSNSに誘って欲しい人がいたらお気軽にお声をおかけください。]]></description>
         <link>http://bitrandom.hustle.ne.jp/2004/07/post_29.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">89_others</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 05 Jul 2004 00:00:56 +0900</pubDate>
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         <title>しんぷる・いず・べすと</title>
         <description>　美味しい讃岐うどんを食べてきました。もちろんご当地、香川県で。

　どんなうどんかって？
　うどんの麺自体、腰があって、少し塩味が効いた感じがして、間違いなく美味しいです。だから、粉からうどん生地をこさえるのにひと工夫もふた工夫もあるんでしょう。でも、今日、僕が味わったのは、食べ物自体の美味しさだけではなさそうです。

　評判を聞きつけて訪ねたそのお店は、お世辞にも綺麗とは言いがたい、米屋さんの倉庫を改造したように見受けらるとこでした。二十メートルを越す行列ができてなかったら、だぁれもそこで食事を取ろうとは思わへんやろうなあ。そういう外観でした。大変失礼ですけれども。

　ところが、行列に並ぶこと十数分。入り口付近で店内の様子が見て取れるようになって、店の人が働く様子を見るや否や、圧倒されてしまいました。

　生地をのし棒で延ばす人、切ってうどんにする人、茹でる人、冷やしうどん用に水にさらす人。お勘定を受け取る人。人に、道具に、場所に、時間に、まったくの無駄なし。老若男女それぞれの店員さんが、息つく暇もなく、労働。

　いかにもキツそうな仕事をこなしながらも、すこぶる上機嫌で、リズミカルにお客さんの相手もこなしていきます。何にしましょ、お待ちどう、ありがと、また来てね。にっこり、にっこり、にっこり。

　飾り気の全くない店内は、厨房と食堂はちょっとしたカウンターで区切ってあるだけです。僕の隣のテーブルではおっちゃんが生地を延ばしてたし、お代わりの時は釜で麺茹でてるお姉ちゃんに直接器を手渡して注文します。勘定が終わったらカウンターの内側通って店の外に出ます。

　客も店の一部になって美味しいもの食べるんに協力する。客としてそれがまた「味」になってるような気さえしました。

　料理を作るんが「上手い」店はぎょうさんあります。それはそれで文句の言いようがないぐらい素晴らしいことです。そやけど、今日味わった「うまさ」ちゅうのは、うどんの「旨さ」だけやありませんでした。

　料理も、店も、仕事振りも。どれもシンプル。最小限にして無駄なモン一切なし。それでいてこの満足感。客商売の真髄なんかもしれません。</description>
         <link>http://bitrandom.hustle.ne.jp/2004/06/post_28.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">20_THOUGHT</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 27 Jun 2004 22:50:35 +0900</pubDate>
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         <title>リスナーが望むものとリスナーを思う気持ち</title>
         <description>　今日、ラジオの競馬中継で初めて、携帯電話を使ってレースの予想をリスナーに問う企画をやってみました。

　今までは電話でのみ受け付けていたのですけれど、今回は携帯サイトでも受付け。結果は今までの中で一番、投票受付件数が多く（なんと、今までの最高記録の三割増！）ひとまず、めでたしめでたし。

　携帯サイトを利用する層って、競馬の好きな層とはちょっと違うかなと心配する声もあったので、今日の結果には担当者もすごく満足してました。

　電話受付と携帯サイト受付の比率は三対二。どうやら僕らが思っている以上に、世の中の人たちっていろいろ年齢層で、いろいろな趣味、趣向の人たちが、それぞれに携帯電話を使いこなしつつあるんですね。

　携帯電話にこんなサービスがあれば便利なのに。電話で出来ることを、携帯電話でもすればいいのに。自分でそう意識しているか否かにかかわらず、ユーザーの側には既に心の準備ができていて、あとは便利なサービスが世の中に出てくるのを待っているだけなのかもしれない。そんな風に思った一日でした。

　一方で、今日の成功の大きな要因の一つは、番組制作スタッフの最大限の努力があったことです。放送中に何度も何度も、彼らは携帯サイトからも投票が出来ることを訴えてくれました。あたかも「こんな便利な使い方もあるんやで」とでも言うように。

　新しいサービスの形態が世の中に浸透していく上で、大切なのは使う側のスキルの向上もさることながら、やっぱり、サービスを提供する側の熱意というか「こんなんあるねん。むっちゃオモロイで、やってみてみ」という素直な訴えなんでしょうね。

　電話だけで受け付けるより、携帯サイトででも受け付けたほうがリスナーに喜んでもらえるんやないやろうか。電話するのは億劫でも、ちょちょっとクリックするだけやったら参加したろうと思う人がいるんやないやろうか。

　その思い付きを、最大限の努力を持ってリスナーに訴えた「作り手としてリスナーを思う気持ち」。

　そんな純な気持ちだけで番組を作れるほど、世の中甘くはないのですが（笑）、今日、スタジオでどんどんと伸びる投票数を確認しながら、何人ものスタッフが「ええなあ、ええなあ」「すごいなあ、すごいなあ」と嬉しそうに微笑んでいたのは、やはりサービスの作り手としての何か本質的に大事なものを垣間見たような気がしました。</description>
         <link>http://bitrandom.hustle.ne.jp/2004/06/post_27.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">12_keitai</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 20 Jun 2004 22:14:57 +0900</pubDate>
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         <title>がんばれメイルマン</title>
         <description>　米プロバスケのプレイオフがいよいよ山場を迎えています。

　デトロイト・ピストンズが２勝１敗とリード。スター軍団ロサンジェルス・レイカーズを相手に優位にシリーズを進めています。心情的にはピストンズを判官びいきしたいのですが・・・。

　一方でレイカーズにも応援したくなる要素が。
　御歳四十歳のカール・マローン。

　昨シーズンまで、ユタ・ジャズに在籍、僕が独身の頃にすでに花形プレーヤーでしたからほんとに息の長い、そして輝かしいキャリアの選手なのですが、二度もＮＢＡファイナルに駒を進めながらもマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズに阻まれました。いつ引退してもおかしくない年齢になった彼がこだわるのは全米ナンバーワンの座だけです。

　今季はジャズを去り、年俸をダウンさせながらも優勝を狙えるコービー・ブライアント、シャキール・オニールなどを揃えるスーパースター軍団に移籍。たった一つだけ残されたチャンスに掛ける姿には鬼気迫るものがあります。

　それにもまして、今季の彼に惹かれてしまうのは、やはり歳が近いから、なんですね。

　マローンは僕より一つ年上ですから、僕が中学校でバスケを始めた頃、彼もまたアメリカのどこかで中学生だったってことですよね。買い食いしたり、女の子のことが気になったり。例え、そういう中学生が地球の裏と表のあちこちにゴマンといたとしても、同時代に同じスポーツに興じていたというぼんやりとした連帯感を感じます。

　四十に近くなると競技としてバスケットボールを楽しむのはなかなか難しいですから、競技をしていた者にとって、ことさら強く「いつまでもがんばれ」「今年こそ手に入れろ」と感じるんだと思うんです。

　言葉を変えれば「いつまでも若くありたい」と「いつまでも若くはないんだから、今のうちに・・・」の境目で戦う彼の姿に、自分の環境がダブって見えてるんでしょうね。いや、見えてるんです。人ごとのように書いてテレを隠そうとしました。すいません。

　シーズン途中はどこまで勝ち進むか分からなかったこともあり、さほど肩入れをしてなかったのですが・・・ファイナルとなるとやはり力が入ります。

　いとも簡単にゴールを重ねる様子から「メイルマン（郵便配達人）」と呼ばれたほどの爆発的な得点力はさすがにありませんが、それでも最後に一花、でっかいでっかい自分自身へのプレゼントを、豪快にゴールに届けてほしいものです。

　明日からのシーズン後半、目が離せません。</description>
         <link>http://bitrandom.hustle.ne.jp/2004/06/post_26.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">30_news</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 13 Jun 2004 23:53:33 +0900</pubDate>
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         <title>単刀直入に説明してもらいたい気持ち</title>
         <description>　仕事でストレスが溜まっているせいか、ここんところ、人の話を我慢強く聞くことがどんどん出来なくなっているような気がします。

　仕事で、その内容や段取りを人に伝えたり、聞いたりすることを繰り返しているので、説明するスキルというのは身についた、とは自分でも思うんです。もっとも、自分で感じるか感じないかはさておき、どんな人でも歳とともに身に付くものなんだろうけど。

　で、ちょっと説明が出来るようになってみると、何だか他人の説明の仕方がうまくないと、どうも気になって仕方ないんですね。いや、ほんと僭越なこと極まりないんですが。

　人の説明を受けながら「この人いったい何が言いたいんやろう」「こういう風に説明してもらいたいんやけど」といったん思い始めると、その後、集中して聞き続けるのってすごく難しいです。

　この感覚っていったい何なんでしょうか。

「そりゃあ、あんたの人格が出来てないだけじゃん」というお叱りの言葉が一番ごもっともではあるのですが、ボクが思うに「歳をとって何かが上手くなると、反面、何かに耐えれなくなったりするような弱い面も出てくるんだな」と感じてるということです。

　何かが上手になった反面、他人の欠点が目に付くようになる。その時に体力的な衰えだけではなくって、集中力や忍耐力のような精神面での衰えがあったりすると、目に付いた欠点に対して攻撃したり、嫌ったり、目をそむけたり・・・そういった悪い方向へ進んじゃうのかもしれません。

　おそらくは、目に付くようになった相手の欠点に対して、アドバイスをしてあげたり、補ってあげたりするのが「ベテランの味」というものなんでしょうけどね。これがなかなか出来ません。四十歳まであと八ヵ月足らず。はたして「四十にして惑わず」という「不惑の歳」を迎えることができるのでしょうか。

　妻子との会話にも「もうちょっと判りやすく話せよぉ」とイライラすることもしばしば。まあ、これは家族に対してならではの甘えでもあったりするんですけどね。</description>
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         <pubDate>Sun, 06 Jun 2004 23:40:45 +0900</pubDate>
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         <title>世界の中心で、愛をさけぶ</title>
         <description>　映画「世界の中心で、愛をさけぶ」というが大人気を博してます。この映画、実はうちの会社が出資しているので、封切り以来の好調さは伝え聞いていたので、先日、見てきました。

　そこそこ良い映画なのですが、公開二週間で二百万も動員できるほどだとは思えない。自分自身の感覚としては、それが正直なところでした。とはいえ「きっとこれがヒットの要因だな」と思った点があります。

　それはストーリーの展開自体が非常に単純で、見え透いていることです。

　何だか、けなしているように聞こえてしまいますが、タイトルからして純愛一直線のこの映画に必要なのは、こそこそと持って回ったような演出で、じわじわと主人公たちに忍び寄る病魔を描くよりも、むしろ単刀直入に運命を明示してしまったほうが良いという作り手の意図なんじゃないでしょうか。

　冒頭からして遺言（のような）テープが一本見つかるシーンから始まるので、かなり意図的に「主人公の死」を観客の心にグサリと突き刺してから物語を進めている、という印象を受けました。そう言う意味では行定勲監督をはじめとするスタッフの術中に、まんまとはめられてるんですね。お見事な手腕だと思います。

　観客は悲劇に突入するのが避けられないのを知っていて、むしろ、そこに惹かれてこの映画の世界に入っていくんですね。ある意味「安心して、予定通りに」悲劇の主人公たちと同化していける。そういうところが受けてるんじゃないのかな、特に女性層には。

　すすり泣きのもれる観客たちの中で僕があまりカンドーできなかったのは、多感な時期に親しい友人を病気で失うという経験が僕自身に実際にあって、どうしてもその時の喪失感の大きさと比べてみてしまうからなんでしょうね。何事も実体験のほうがリアルです。当たり前ですけどね。</description>
         <link>http://bitrandom.hustle.ne.jp/2004/05/post_24.html</link>
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         <pubDate>Sun, 30 May 2004 23:56:35 +0900</pubDate>
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         <title>小泉クンに期待したのが間違い</title>
         <description>　小泉首相が北朝鮮を再び訪問し、支援を表明し、国交正常化交渉の再開を促し、食料と医薬品の支援を約束し、経済制裁をしないことを表明し、拉致被害者の家族の一部の人と帰国しました。

　拉致被害者と家族会の方たちをはじめ、与野党双方からも今回の訪朝に関しては、厳しい評価が多いように思うのですが、僕自身は、さほど憤慨することもないんじゃないかな、という感覚があります。別に小泉さんに肩入れするわけでもないんですが。

　ただ、今回のことで、たとえ立場がかえって悪くなったにせよ、北朝鮮と再度、関係を持てたこと自体の意味はあるような気がするのです。30年来、ほとんど、どんな国だか分からなかった国、それだけに不気味な印象だけが一人歩きしていた国。そういう北朝鮮と実際に何かを直接交渉し、結果の巧拙はあれ、毎回一つ一つ交渉に結果を出して、国民ひとりひとりがその交渉について考えて、議論して、反省をする。そういうプロセスこそがとても大事なんじゃないかなあ。

　拉致被害者とそのご家族の皆さんのお気持ちは判ります。小泉首相に期待する気持ち、裏切られたという気持ち、も。しかし、では、小泉さんではなく誰であればうまくことが運んだのでしょうか。与党の中の誰かが、野党のどの党かが、事を運べばうまく行ったのでしょうか。

　残念な結果に終わった今回の北朝鮮との交渉ですが、その「敗因」は、こういう風に交渉して、こういう成果を引き出す。さもなければ譲歩は一切しないという国内世論をまとめ切れなかった点にあると思います。

　訪朝する前に「今、行っても、かえって失敗する」といった論調があまり見られなかったこと自体、とても「甘い期待」に過ぎたのではないでしょうか。そう言う意味で、そもそも期待するのが間違い、だったのでしょう。

　もちろん、今回の交渉がかなり不利に進んだ直接の責任は首相や政府、官僚にあるのですが、彼らに示唆を与えるべきマスコミ、もっといえば世論の主たる国民自身も反省すべき点ってあるんじゃないんでしょうか。

　イラクへの自衛隊派遣の時にも、直前の選挙でどう考えてもイラクに自衛隊を送りそうな自民党を選んでおいて、行かせるべきじゃないんじゃないか、と騒いでいた変な国民性が、また出ちゃったような気がします。</description>
         <link>http://bitrandom.hustle.ne.jp/2004/05/post_23.html</link>
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         <pubDate>Mon, 24 May 2004 00:01:01 +0900</pubDate>
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         <title>電波といえばケータイ</title>
         <description>　会社で見かけた「電波の日」のポスターの真ん中に、携帯電話の電波状況を示すアンテナの図案が。もはや「電波」といえばテレビやラジオではなくって携帯電話なんですね。テレビやラジオより身近なメディアが登場したことを放送局の人間は認めなくっちゃいけないなあと思った瞬間でした。

　かといって携帯電話会社の中に「電波の日」のポスターは貼ってあるんでしょうか。あくまで僕の推測ですけど、貼ってないような気がします。彼らは彼らで自分たちのことを「電話屋さん」だと思ってるんじゃないかな。

　うちの奥さんに「電波といえば？」と聞いてみても「ケータイ！」と答えましたし、ごくごく普通の人にとっては「電波」と聞いて思い浮かべる機械は、もはやテレビやラジオじゃなくって携帯電話になっちゃったことは確かなようなのですが、当のテレビ、ラジオあるいはモバイルという媒体に携わる人たちの意識ってまだちょっと現実とはギャップがあるようです。

　そのギャップにどういう意味があるのかを言い当てるのは至難の業ですが、現実を見つめて何らかの対応を打つべきだということは間違いがないと思うのです。僕たち放送業界の人間にとってはさっさと視聴者の頭の中に入り込んでいる「新しい電波像」に対する答えを用意して放送してあげること。それを携帯電話屋さんが始める前にやってしまうこと。なんじゃないでしょうか。

「放送と通信の融合」とはよく言われるのですが、意外と消費者、ユーザーの意識の中から始まってるんだな。そう思ったのでした。</description>
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         <pubDate>Sun, 16 May 2004 23:24:08 +0900</pubDate>
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         <title>もう二度と投げられない</title>
         <description>　阪神タイガース戦のインターネット中継を担当している時、絶妙のコースに決まった投球を指して解説者がこう言いました。

「今のは良いボールでしたねえ。（あんな球は）今日はもう二度と投げれないでしょうねえ」

　この表現がとても気になりました。良い意味で、ですが。

　野球解説というのは、専門家による「解説」なので専門性が重んじられることは重んじられるべきです。一方で「なんかマニアックなことばっかり言うて、女子供には全然おもろないんちゃうんかなあ」と思うことがあります。

「今のはツーシームかも分かりませんねえ」という解説に対して実況アナウンサーが「はあ、そうですか」とだけ答えてたのでは、それがボールの握り方から来る変化球の名称であることすら初心者には分からないわけです。そういう野球のマニア向けの実況が多いこと、多いこと（ちなみにこの表現も、実際に同じ日の実況にあったものです）。

　それに比べれば「今日はもう二度と投げられない」という表現は、なんと分かりやすい表現なんでしょう。

　確かに「今日はもう二度と投げられない」というのは、ちょっとオーバーで、ともすれば「嘘」になってしまう危険性もあります。解説には専門性とともに信憑性も求められますから、こういった表現の連発は避けられてしかるべきです。

　でも一方で、この表現は「誰が聞いても分かる」ものであり、誇張した表現であるがゆえに「エンターテイメント性もある」ものにもなっています。投球自体がどうであれ、聞き手の耳に「そんなオーバーな表現して、おもろいなあ」というような驚きを与えるものは、専門的で理解できない言葉を連発するよりは、娯楽として良く出来たものではないでしょうか。

　野球に限らず、スポーツの解説者には有名な元選手を起用することの多い日本では、こういった解説表現のテクニックってあまり論じられてないような気がします。もっともっと分かりやすくて楽しい実況解説って追及されてもエエんやないかなあ、

　願わくば、今日のような面白い解説の表現が「もう二度と聞かれない」なんてことのないように祈りたいです。ちなみにこの日の解説担当は安藤統男さんでした。</description>
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         <pubDate>Sun, 09 May 2004 23:58:33 +0900</pubDate>
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         <title>目の悪い人にしか見えない風景</title>
         <description>　目の疲れが気になったので、ゴールデンウィークらしい陽気の中、思い切ってメガネをはずして近所を散歩してみました。こめかみの部分にメガネのフレームを感じることなく、視野が広がって気持ち良かったです。

　表札の文字を読むなんてことは全然出来なくってしまうんですけど、それでも植木が風にそよぐ様などは何となく分かるような気がするんです。手で触ったり、口に含んだりした時に触感ってものがあるように、コンタクトやメガネにはない裸眼で見たときの感触というのがあるような気がします。

　それなりに空よりも雲は近くて、雲よりも遠くの建物は近く、町並みを作っている建物がだんだんと連続して近くにある。目の良い人が眺めている風景とはきっと違うのでしょうが、裸眼独特の開放感、距離感というのは実感として存在します。視力が弱い僕には視力が良い人とは違った感覚で「何か」が見えているのかもしれません。

　動物として生きていく上では、あるいは文字を読み文明社会で暮らしていく上では、近視は「見えにくい」というデメリットしかないのですが、表現の世界では違う感覚を持っていること、体験することだって大切です。たまに違った見え方を経験すると何か良い刺激となるのかもしれません。

　そういえば今週、仕事で企画にダメ出しをされて「何でダメなの？」と憤慨もしたのですが、ダメ出しをする側には、僕らの書いた企画書は「何か違う見え方」をして、何かが足りないように見えたり、何かが遠くに見えたり、あるいは見えなかったりしたのでしょう。

　番組を作ったり、記事を書いたり、写真を撮ったり。そういう表現の仕事をする場合、常に受け手の人がどういう見方、受け方、捕らえ方をしているのか、それを冷静に考えないといけないんですよね。

　僕という一人の人間の中にだって、メガネを掛けたり外したりするだけで大きく変わるものの見え方があるんですから、多くの人たちに認められるようなコンテンツって、それだけたくさんの人の価値観を通してなお「面白い」と言われるようなものであるべきなんですよね。難しいなあ。

　連休に休みを取って、また企画書き直すかなあ。</description>
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         <pubDate>Sat, 01 May 2004 18:26:51 +0900</pubDate>
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